戦争証言「東京大空襲編」

成東小同窓生による戦争体験インタビュー

子どもたちの記憶 東京大空襲の日

昭和16年開戦の年に成東小学校に入学した同級生

艦砲射撃が来るということで、山武も空襲の危険が高まり避難訓練が盛んに行われていた。
昭和20年3月9日深夜から10日、地区ごとに指定された避難場所があり、区民全員が逃げることになる。

東京大空襲である。

東京の下町が無差別爆撃され、全焼家屋 約27万 死者8万人を数える。

この時、小学校5年生だった彼らも、夜に避難命令が発令し、皆で避難した。

数々の思い出:

祖父が、在郷軍人(兵隊のOB)だったため、
「俺は残んなくちゃいけねえ」と言い張り、菊池さんも「じいちゃんと一緒に死んでもいい」と寄り添った。

山武から見た東京の方角が夕焼けだった。
東京で焼けた紙切れだろうか? 山武では雪のように降ってきた。
その日は、風が強かった。
そして、寒く、霜が灰色だったのを記憶している。

・・・

東京大空襲が終わり、B29が帰る時だろうか? 余り?とも言える焼夷弾を投下していった。
鳴浜小学校が全焼した。
空にあるB29に光が反射してよく見えた。
遠くから見てると花火のようで綺麗でもある。

不発弾がたくさん残った。
警察の庭に山のようにあった。
不発弾をたたいて遊んでいた小学生が火傷をした。

今でも鮮明に憶えている。
二度と起こしてはならない戦争の記憶は残しておかなければならない。

さんむVRでは、山武地域での戦争体験のインタビュー動画を公開しています。

 

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