鈴木信子さんは、草を刈っては、天秤棒で吊るし、庭に運び干して、干し草を作るのが日課だった。
干し草は軍馬の餌となる。
1945年(昭和20年)8月15日
12時にラジオから天皇陛下の声が聞こえる。
天皇陛下は、当時、姿をみることも、声も聞くことさえ出来なかった。
天皇陛下の声に驚いた!
それは、終戦を知らせる声だった。
干し草の仕事中、晴れた日でした。
今でも1節だけ憶えています。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」
これだけは、未だに忘れない。
いろいろとおっしゃったのですが、これだけは忘れない。
みんなガッカリきた。
しかし、みんな、戦争が終わるのをまっていたのかもしれない?
「みんな~、戦争が終わったんだってよ~、叫ぶ!」
よく晴れた日、汗をながしていた日々
干し草がいらなくなりました
軍にも納めなくてよくなりました。
その日をさかいに、その仕事もなくなりました。
その干し草は、どうしたのか?
今は憶えていない。。。
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