川嶋繁彦さん(入隊と食料難の時代)

山武市 富田在住 川嶋繁彦さんインタビュー

川嶋繁彦さんは、二十歳という若さで徴兵されました。
兵隊に行かないと男としては一人前でない時代で、戦争は末期で敗戦色が濃かった。
神社でお参り、挨拶し、成東駅まで、笛、太鼓の楽隊で送られた。
千人針、日章旗、寄せ書き、もう無我夢中だった。
成東から和田、日向に向かう電車が曲がるところで死も覚悟したという
外地にいかず近衛兵だったので運がよく、生きてこれた。
とにかく、その時代は、食べ物がなかった
演習にいく、帰ってくる、腹はぺこぺこ、ごはんは少なく、ひどい軍隊生活だった
軍隊は、分隊にわかれ、15、6人の班が形成され、班長は軍隊では神様だった
班長当番が、洗濯する、靴をみがく、ごはんも差し出す
おなかすいてるから、班長が残した残飯も食べたし、畑のショウガも盗んで食べた。
馬の餌のばらかす(大豆)を盗んで食べた者もいて、腹膜炎になった。
腹がへると人間は冷静でなくなり、野生化してしまうようだ。

カテゴリー 戦争体験タグ , ,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。