倉田禎夫さん(終戦と死生観) 1945年8月15日、伍長として仙台の予備士官学校で終戦を知る。 出兵時、髪の毛を切って、爪をきって、隊長にあずけて、遺骨代わりだった。 死ぬ覚悟は、既にできていた。 敗戦を知った時、終戦で負けて悔しいとは思わなかった。 これで、命が助かったと正直思った。 ・・・ 「兵隊は、みんな、心の中ではホットしたんじゃないかな? 国のためといっても、誰でも命は惜しい」 そして、冗談交じりではあるが、印象深い…